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のりが作られるまで

このように日常的になるには時間がかかったのですね。


古くは紫菜(むらさきのり・あまのり)・小凝菜(いぎす・テングサ)・鹿角菜(ひじき)などをのりと称した。とくにヒジキなどは、粘りを利用し、紙と紙を接着する接着剤としても使用された。糊をのりというのは、奈良時代に於いて紙を貼り合わせる物が海苔だったことに由来すると考えられる。

古くは『常陸国風土記』(713年)に登場しており、ヤマトタケルに関して次のような記述が見られる。「古老の曰(い)へらく、倭武の天皇 海辺に巡り幸(いでま)して 乗浜(のりのはま)に行き至りましき。時に浜浦(はま)の上に多(さは)に海苔{俗(くにひと)、乃理と云ふ}を乾せりき。」同じく『出雲風土記』(733年)においても、「紫菜(むらさきのり)は、楯縫(たてぬひ)の郡(こほり)、尤(もと)も優(まさ)れり。」という記述がある。なお、楯縫郡は現在の平田市十六島海岸である。

和銅3年(710年)に遷都された平城京には、海草類を売る「にぎめだな」、海苔や昆布を佃煮のように加工したものを売る「もはだな」という市場が存在した。大宝2年(702年)2月6日に執行された大宝律令においても、海苔が租税として徴収されている(ここから2月6日が海苔の日となっている)。こうして海苔は日本の食文化に定着し、987年頃に書かれた『宇津保物語』には、甘海苔や紫海苔といった具体的な名称で海苔が登場している。

江戸時代になると養殖技術が確立し、東京湾で採れた海苔(紫菜)を和紙の製紙技術を用いて紙状に加工するようになり、現在市販されている板海苔が完成する(これに対して乾燥させない海苔は生海苔と呼ばれる)。なお江戸の海苔の代表とされる浅草海苔に関しては諸説あるが、岡村金太郎著『浅草海苔』(1909年)においては、遅くとも長禄年間(1457?1459年)頃まで遡らせる説が提示されている。

海苔が使われている食品には『磯辺』と表現され、また産地には『磯辺』、『石部』、『磯部』、『石辺』(何れも『いそべ』と読む)などの地名を見ることが出来る。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)
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2007年11月14日 17:42に投稿されたエントリーのページです。

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